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闘魂 サバイバル生活者のブログ

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反陰謀理論批判

反陰謀理論批判


グーグルで「陰謀理論」を検索するとLiving,Loving,Thinkingというブログの陰謀理論批判(メモ)なる記事がトップに出てくる。リンクしてある記事をたどっていくとつまらない記事だったりして、それを受けて書かれたこの記事自体がしょうもない記事であることがわかるのだが、なぜかグーグルではトップに出てくるので、無視もできずたたいておく必要があると思った次第。疑似科学と陰謀理論をいっしょに論じているところが致命的なのだが、なにせトップに出てくるのだから目障りである。陰謀理論でもコアであり、かつきな臭い国際政治経済(国内外のインタラクション)を重層的に見るためのリアルな視点は、経済・金融史に関わる議論(モノ)だ。疑似科学なんて、生活と喫緊の接点のない、テレビのクイズ番組のような素人受け狙いの瑣末な問題に思える。逃げを打つ気ではあるまいが、金貸し同様、両建てでリスクヘッジしてるような気がしてならない。

■陰謀理論批判(メモ)

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-532.html
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-533.html
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-544.html

所謂「リベラル」系や左派系のblogに蔓延る「疑似科学」や「陰謀理論」への批判。反戦や反ネオリベラリズム、反グローバリズムを唱える左派系のblogに「陰謀理論」が蔓延っていることについては、誰かががつんというべきだろうと思っていた。上に挙げたような批判が共感をもって迎えられれば喜ばしいのだが、コメント欄を見る限り、そうともいえないようだ。さらに、このようなblogに感じ取れるのは、ネオリベラリズムへの反発や批判を名目にしたナショナリズムやレイシズムとの野合である。「陰謀理論」がしばしば反ユダヤ主義を伴っていることからもわかるように、これらは文化本質主義を共有する。また、マインド・コントロール論という粗雑な心理学も問題になるだろう。

ところで、「ケムトレイル」というのを知る*2。怖いですね。

上のエントリーでは「水伝」*3の話もあって、「疑似科学」も批判されているのだが、「疑似科学」というのはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060114/1137205330でも述べたように、裏返しの科学主義であり、「疑似科学」を解体するためには、科学そのものの権能に対する哲学的批判が不可欠ではないかと思う。「疑似科学」は信じていなくとも、能天気な科学万能論を唱えてしまう人はけっこういるのであり、そういうのを見ると、それこそ〈非科学〉的だろと思ってしまう。

以上ですべての短い記事だ。なぜかこれが「陰謀理論」のトップである。疑似科学なんてどうでもいい。しかし、「陰謀理論」が蔓延っていること、「陰謀理論」がしばしば反ユダヤ主義を伴っていることは、この記事の書き手と同意見である。それを裏打ちするような、この記事に対するコメントもついでに引用しておく。

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kojitaken 2008/01/13 12:58

はじめまして。リンクを張られているブログの管理人、kojitakenと申します。アクセス解析を見ていてたどり着きました。ブログを紹介していただいて、どうもありがとうございます。

> このようなblogに感じ取れるのは、ネオリベラリズムへの反発や批判を名目にしたナショナリズムやレイシズムとの野合である。「陰謀理論」がしばしば反ユダヤ主義を伴っていることからもわかるように、これらは文化本質主義を共有する。

これは、今後私がブログの中心テーマの一つに据えたいと考えていることです。

例えば、私に対する批判陣営の中には、城内実の支持者がかなりいますが、彼はいずれバックラッシュの政治家である平沼赳夫の新党に加入して、民主党に連携を呼びかけると思います。その際、少なからぬ左派ブログが、ナショナリストやレイシストと野合する方向性を見せると予想しています。今の段階から、ナショナリズムやレイシズムを批判することは、絶対に欠かせないと思います。私が陰謀論批判を始めた契機の一つも、反ユダヤ主義への強烈な嫌悪感です。

小生の本記事に対する、別館(生活と勉強編)での当初のコメントは次のとおり。

…英語のコンスピラシーセオリーと日本語の陰謀論は違うという点を押えていないこと。陰謀理論批判とあるので、明らかに英語のコンスピラシーセオリーを射程に入れているはずだが、内容は、日本の陰謀論にとどめている。陰謀理論(コンスピラシーセオリー)批判なら経済・金融史の議論抜きに陰謀理論批判はできないはずだ…

この一節に続けて、具体的な陰謀理論の例を示したが長いので省略(仕方ないので、リンクだけを張っておく。「金貸しと戦争」)。そして、それに続けて、次のコメントを添えておいた。

…たとえば、メディアは、経営上繋ぎ融資を受けたりするので、銀行の批判はできないような仕組みになっている。銀行の扱う商品は「お金」だ。われわれは、「お金」についてなにを知っているだろう。陰謀理論を批判するには、最低限こういう現実を知った上で、批判しなければ、手ごわい陰謀理論はびくともしないし、批判する側もチンピラみたいな陰謀理論を相手にしているだけでは、見ていて歯がゆい。確かに、どう関与していくかという問いには陰謀論は非常に弱い。せいぜいのところ、原因を外部に求めて、原因を除去するために、自己と他者の境界を明確化するだけの作業だ。しかし、それとて、ひとつの見立てとして考えれば、読み物としては面白いし、政治・経済の話だから、ものごとを多面的に見て、相対化する視座としては興味深い。少なくとも通説だけではなく、余裕のあるひとは有力説、少数説にも気を配る。毛嫌いするひとに限って、歴史観も単線的で、そもそも、ユダヤ人問題と聞いただけで、パニックに陥って思考停止になるようではだめだと思う。陰謀理論に囚われてしまってはだめだが、彼らの主張の根源に目を向けるのは、決して無駄ではない。西欧を深く理解するにはここを避けていてはだめだ。哲学にせよ、経済学にせよ、いままでの学問は、学説紹介で終わっているという批判があって、時代は、そういう批判を乗り越えることを要請している。志のある若いひとは、陰謀理論にラベルを貼って忌避するのではなく、正面からぶつかってほしいと思う。というわけで、たとえば、つぎのような主張をどう咀嚼すればいいのだろうか。総論では陰謀理論と距離を保てるが、こういう各論でつまずいてしまう。陰謀理論の単純な全否定では、手ごわい陰謀理論のもつ各論の具体性が放つ圧倒的な説得力を跳ね返す力がない…

先と同様、この一節に引き続いて、具体的な手ごわい陰謀理論の例を示したが、やはり長いので省略。(ここもリンクだけを張っておく。「無から有を生む信用創造」

一応の総括をしておくと陰謀理論は端的にいって、現状批判のスタンスだ。現状になにがしかの不満があって、その原因を追究する端緒になりうるもので、為政者に対する厳しい目線を含んでいる。それなのに、ミソもクソもいっしょにして、トンデモ話だとして葬り去ろうとするまともで健康的なひとごと(客観)モードの記事が検索エンジンで支援されるのが現実だということをまず押さえておくべきだろう。しかし、陰謀理論などとおぞましさのイメージを付与された現状批判のスタンスは、少なくともネット上で一定の勢力をもっていて、反ユダヤ主義のコードに抵触しそうになっている。しかしながら、注意すべきは、誠実なブロガーなら、ここから反ユダヤ主義とはなにかという疑問を抱くようになるということだ。小生は、別に反ユダヤ主義者ではないが、それがなにに由来するのか、そして、それが欧米でどういう役割を果たして来たのか、そして、現状はどうなっているのか…等々、毛嫌いして無知のまま拒否反応を起こすのではなく、現実を少しでも知った上で、賢明に自己の生活を組み立てていける同胞として育ってもらいたいと思うのだ。

最後に勉強したいヒトのために反ユダヤ主義の論客(ブロガー)のサイトとして、晴耕雨読を挙げておく。晴耕雨読さんは、Living,Loving,Thinkingさんよりはずっとものごとの本質がわかっている。出口ナオではないが、貨幣とモノに毒された「我よし」の悪魔的精神から遠い存在だということだ。



2008年9月13日 根賀源三


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